武石副市長にインタビュー!副市長ってどういうお仕事?入庁~副市長になるまで

武石副市長にインタビュー!副市長ってどういうお仕事?入庁~副市長になるまで

副市長…って皆さん、どういうお仕事か知っていますか?

お話を聞いて、恥ずかしながら私は半分くらいしか知らなかったなぁ…と思いました。

今回、本邦初!?「志布志市副市長のお仕事について」副市長に教えてもらいました!

そして、武石副市長が副市長になるまでを、入庁から追ってお伝えしていきます。

波乱万丈の入庁時の話や、今も残るイベントの基盤を作った「がんがら会」「キューブ2000」にかける想い…

これからの志布志についなど、普段なかなか聞くことができない副市長にお話を伺いました。

副市長ってどういうお仕事?副市長に教えてもらいました!

失礼ですが、副市長のお仕事にはどのようなものがありますか?

市長がいろんなマニフェストを掲げる中で、市長と打ち合わせをしながらいったん自分というクッションをおいて関係課に投げる。

各課の事業調整をしたり、仕事の意識付けだったり…

逆に、各課からの情報をワンクッション自分に置いて、考えて市長にお伝えしたりね。

副市長のお仕事➀ 市長のマニフェストを遂行できるように…航海士の役割

つまり、こういう図式になるわけですね。

うーん、イメージが付きにくい方もいると思うので、船に例えて考えてみましょう!(某私の大好きな海賊アニメをイメージ)

市長は、麦わら志布志海賊団の船長

政策を打ち出し、「志布志」が次にどの島行くのかを考えます。

航海士である副市長は、次の島にたどり着くまでの航海をサポート

船員は、「建築」「医療」「文化財」など各専門分野に長けた職員です。

次の島に行くためのチームを考えたり、逆に船員からの意見を集約して市長に伝えたりすることで、

実際の航海のための道を確認してチームを作り、船長が行きたいと思ったところへの航海をしやすくするわけですね。

なるほど…だから副市長は職員からなることが多いんですね。納得!

さらに難しいと思ったのが、副市長という立ち位置。

市役所内の調整はもちろんのこと、市民のみなさんへの説明責任を果たす立ち位置として外部との調整も必要なんですね。

ううむ、副市長は大変です。

副市長のお仕事➁ 市の顔「市長」の代弁者・代理として

あともう一つ、大きなお仕事は市長の代理として意見を伝えたり、会合に出席すること。

イメージとしてはこちらの方が強いのではないでしょうか。

市長は、麦わら志布志海賊団の船長、つまり顔。

しかしながら、市長が参加しなければならない会合が重なったり、行けないことも。

そういう時に、市長の代弁者として意見を伝えたり、代わりに出席したりするのが副市長です。

あくまで市長が船長。航海士である副市長が「表に出る」ことはありません。

航海士の役割を果たしながら、市長の代弁者でもある…「副市長」ならではの難しさがあると感じました。

武石副市長が副市長になるまで。

パンチパーマにラメ入りスーツ!入庁直後に大怪我…波乱万丈の新採職員時代。

今は副市長として活躍されている武石副市長ですが、入庁までの道のりは波乱万丈だったそうです。

就職の時に叔父が願書を出し、△月〇日に採用試験があるから!と言われてね。

髪もスーツもピシャッとしないと!と、親と相談して…

結局、パンチパーマで眉を薄くピシャッと揃えてね、黒いスーツだけどラメが入っていて

靴はエナメルの白いシューズで試験を受けにいきました。(笑)

周りの同じ受験者を見ると、あれ?なんか違ったかなぁ…?と思ってね。

けれど、採用試験に合格してね。入庁したら、色んな人が見に来たよ。(笑)

▲イメージ図…クセが強いっ!

その後入庁してすぐ、大きなけがをして1ヶ月近く入院することになって。

試用期間中に1ヶ月も休んでしまって、「もうだめだなぁ」と思ったんだけど、

たくさんの先輩方が“アイツはどう育つかわからん。化けるかもしれん”って言って掛け合ってくれてね。

その時に、“あぁ、学生気分のままじゃいられないな。公務員の自覚を見せないと”と思ったなぁ。

怪我の影響で松葉杖だったけど階段で4階まで上がり、毎朝事務室の掃除をしていたよね。

この習慣は今も変わらないね。

自分に合わない、と思った公務員。「役場の人」って何なんだろう。

そうやって入庁したんだけど、やっぱり自分には合わない!と思ってね。

一つは、「役場の人」についての上司や町の認識が理由でした。

上司は、「役場の人はそんなことをするといけん。」とか、「自治会長はしたらダメ」とか消極的に見えて。

町に飲みに行くと、「役場のわろどま(アイツら)は…」と言われる。

なんでこんなことになってるのかな?と思ったら、おそらくお互いのすれ違いが理由だな、と思ってね。

例えば、補助金について。

市がお金を使うためには予算を組んで使わないといけないから、タイミングによってはシステム上できないこともあるんだよね。

でも、市民からすると「なんでこんなこともやってくれないのか」と怒ってしまって。

これはお互いに悪いところがあって、市としてはなんでできないのか説明しないといけないし、民間の人は聞こうとしないといけない

“このままじゃいかんなぁ、どうにかせんかいかんな”と思ってね。

市役所若手が集う「がんがら会」から、キューブ2000の創設

「どげんかせんといかんなぁ」と思っていた副市長(当時30歳)に、転機が訪れます。

職員も率先して外に出ないといけない、と今の下平市長が平成元年に40歳以下の職員の集まり“がんがら会”を立ち上げました。

今でも、がんがら会はSL広場のイルミネーションを飾り付けしたり、さんふらわあクルーズでイベント企画をしたりしています。

▲志布志の「冬」と言えば、鉄道公園のイルミネーション。志布志を離れた方々も、「ここで初デートしたなぁ」と思い出に残るスポット。

“がんがら会”は40歳以下の集まりという決まりがあったから、私は創設者の下平市長から次のバトンを受け取ってね。

改革をやるなら今だ、と商工、観光、JC、漁協さん、農協さんなど色んな団体に声をかけ、

キューブ2000という団体を作りました。

キューブというのは、サイコロ。

コロコロと転がるサイコロに見立てて、誰がトップで、誰が責任をもって…と決めるのではなく、「みんなで盛り上げよう」という団体です。

▲当時の市報。現在の志布志市役所志布志支所前の大きな木にイルミネーションを付けた。当時は都城しかイルミネーションは無かったとか。

キューブ2000とは、特定の組織にとらわれず志布志を愛し、志布志の夢を語りそれを実現へと導いていくやる気のある若者の集まりである。

つまり、リーダーはいない。みんなが主役なのである。

自分もやってみたいと考えている人は、積極的に参加してみてはいかがですか。(広報誌より引用)

キューブ2000による「さんふらわぁクルージング」成功の裏に壁も見えた。

さんふらわぁが着く港町なのに、志布志に住むほとんどの人がさんふらわぁに乗ったことがなかったんですよ!

地元のことは地元の人が知らんといけん!と思ってね。

志布志の方にさんふらわぁに乗ってもらう企画を作ろう!とキューブ2000が奮闘しました。

今は着ぐるみショーも良く見かけるようになりましたが、当時は珍しいアンパンマンショーを呼んでみたり、

志布志千軒太鼓とコラボしてレーザーショーをやったり!

まだ街コンが無い当時、開催された船上パーティーには20歳前後の若者が150人参加しました。

アンパンマンショーをはじめ、空手や子どもたちの華麗な踊りに盛んな拍手が沸き起こりました。

でも、一番心に残ったのは舞台のそでである。

太鼓の道具は確かに大きくて重いこともあるが、みんなが1つになり運んでいる姿がなんともほほえましい。

太鼓をたたく時、舞台の掛け声とそでの掛け声がいっしょに聞こえてくる。

気持ちが太鼓に乗り、観客の胸に伝わってくる。

レーザー光線をバックにした合同三宅太鼓では絶頂に達し割れ返るような拍手が起こった。(広報誌より引用)

役所の職員だけではなく色んな団体の方々の力を集め、若手みんなの力で思ってもない大きなことができ…

しかしながら、若者だけで何かやろうと思った時に障壁になったのは50代~60代の「責任世代」

「それは難しい」「できない」「人が集まらんと思う」などなど…

最初から理解がある方々だけではありませんでした。

自分が責任世代になったときに、意見を聞くことができる仕組みづくり

さんふらわぁクルーズをやったときに、武石副市長は30代でした。

50代の人からすれば20歳も違う。これだけ年代が違うと、そりゃあ気持ちが分からんち思うのよね。

この人たちの意見を無理やり変えようと思うと、さすがに無理があると思う。

逆に自分が50代になったときに、30歳年が離れた20歳の人たちにいいね!やれやれ!って言えるために、何ができるかなぁって思ってね。

当時は選挙に出ることも考えていた武石副市長は、この考えをきっかけに役所職員として役場内の改革をしていくことが必要だと考えました。

そこで、まずがんがら会のメンバーに「±5歳の人の話を聞くように」と言いました。

±5歳であれば、世代間の感覚も違わず話すことができます。

5歳上の人には、自分の意見をしっかり伝える。5歳下の人の意見は真摯に聞いて、相談は受け止める。

普段からの心がけや啓蒙が、「何かをやろう」と思った時、スムーズにできる準備になるわけですね。

これからの志布志…どうしていきたいですか?

最後に、これからの志布志をどうしていきたいか、教えてもらえますか。

志布志で生まれ育った者に、ヨソに出て色々見てきて欲しいと思います。

ヨソに出ていく前に必要なのが、地元を知ってもらうこと。

地元を知るっていうことは、歴史を勉強するとかそういうことだけではなくて、おじいちゃん・おばあちゃんと話をすることも大事。

たとえば、「お釈迦祭りは昔人が多くてね」…今見ている祭りが、30年前は違ったかもしれないよね。

それをひも解いたときに、人口減少とか地域の繋がりが問題になってる、と知ることが大切

逆に、年配の人には若い人と話をして「今の世の中がどうなっているか」わかることが大切なのかなと。

そうしないと、新しいことを受け入れることができないし、昔のことばかり言っていても発展していかないから。

そうなったときに、ようやくお互い「現状」が理解できる状態になると思う。

若い人は、こうやって現状を理解したうえで外に出ることで、見え方が違うはず。

そうして、志布志に関わった人の意見を柔軟に取り入れていけるようになったらいいなぁと思います。

ITが出てくることも見据えて考えていく。温故知新…変わらないものも。

正直なところ、爆発的に人口が増えるというのはなかなか無いと思う。

けれど、これからITが出てくることで進化していくものや職もきっとたくさんあって、

人が少なくなってもITの力で豊かになる部分もあるかもしれない。

逆に日本全体の開発が進んだときに、田舎の「自然が残っていること」が強みになるかもしれないよね。

自然を人口的に作ろうと思ったら、何年かかることか。無理だと思うんだよね。

一方、変わっていく世の中でも、教育や礼儀作法…食とかは過去を見ても変わっていない。

昔から変わらないものを大事にしながら、ITも見据えて、変わる未来を考えていかなきゃいけないと思っています。

取材を終えて

普段なかなか接することのない副市長にお話を聞くこと…とっても緊張しましたが、

冗談も交えながらお話いただいて、とてもリラックスして笑いながら、楽しく取材を終えることができました。

意見を言ってみよう、と思わせるお人柄でありながら、立ち位置を考えた動き方…

副市長という仕事の難しさが垣間見えつつも、武石副市長の考え方になるほど、と思う取材でした。(偉そうにすみません!)

武石副市長、ご協力ありがとうございました!

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